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*FLY ME TO THE MOON 6*
※前篇は、画面右手のカテゴリ「*FLY ME TO THE MOON*」からご覧いただけます。
――――――――――――――――――――――――――――――

 「帰りたくないな…」
 車の中で、そんな言葉が勝手に口から飛び出した。
 「俺も。帰りたくない。でも帰らなきゃな。家に着く頃には、一日の終わりだよ。」
 対向車線から車のライトに照らされて、化粧を直した自分の顔がサイドミラーに映る。
 化粧をしただけで、今日二人で過ごした思い出を封じたような気持ちになる。

 すかすかの高速道路から一般道に抜けると、そこから先は相変わらず車だらけの都会だ。
 こんな場所で、明日からもまた、同じ日々の繰り返し。
 そう考えると、する事が何も無いわたしはうんざりしてしまう。
 旅の終わりは、いつもそうだ。高速道路を下りれば、薄汚れた看板や車のクラクションや、汚くよどんだ空気に包まれて、ああ、わたしは帰ってきてしまったんだな、とやるせない気持ちになる。
 今回は、特にそんな想いが強かった。車の中で、二人きりでいられる時間もあとわずか。
 帰りたくないな。

 ちょうど零時になる頃、車はわたしの住むマンションの外に停まった。
 「今日は楽しかった。送ってくれてありがとう。」
 「俺も。こんなに羽を伸ばしたのは久々だったな。」
 彼はシートベルトをいったん外し、大きく伸びをした。
 「運転、大変だったでしょ。ご苦労さま。ありがとう。」
 わたしはシートベルトを外し、後部座席に置いてある自分の荷物に手を伸ばした。
 その刹那、彼はわたしにキスした。
 突然、何も言わずに、小鳥がするような短くて軽いキスをした彼は、わたしの眼をじっと見つめて、それから運転席に座りなおし、シートベルトを締め直した。
 わたしは半ば呆然としながら、力の入らない手で荷物を引っ張り、膝の上に乗せた。

 「今日の約束憶えてる?」
 彼が、煙草に火を点けながら呟く。ライターの炎に照らされた横顔は、出会った時に比べればずいぶんとやつれ、疲れているように見えた。
 「…髪をきちんと乾かす事、箸を正しく持つ事、それから、二年後にお店のカウンターに座っている事。」
 わたしがそう答えると、彼は安心したように笑って、必ず守れよ、と云った。
 わたしは車を降りたくなくて、それでも目の前のマンションを見上げれば、わたしと夫の暮らす部屋には電気がついていて、帰らなければならないのだと思う。
 帰らなければならないと思うのに、足が動かない。

 「シンデレラの気分。」
 デジタルの文字が零時ちょうどになるまであと数十秒。
 わたしは彼にそっと手を伸ばし、唇に唇を重ねて、髪を撫でた。
 車内に響くラジオが零時を告げ、わたしはそれを合図にして彼から離れた。
 「早く帰らないと、馬車はカボチャに、御者はねずみになるからね。」
 彼はそう云って、わたしを車から降りるように促した。
 わたしは唇を軽く噛みながら、ドアの取っ手に手をかける。
 「…大好きだよ。」
 そう云い棄てて、わたしは車から降り、振り返らずにマンションのエレベーターホールに駆け込んだ。
 部屋に入る前に、ドアの前で一度階下を見下ろして、彼の車がまだ停まっているかどうかを未練がましく確かめる。
 彼の車は、もう見当たらなかった。


 Fly me to the moon,and let me play among the stars,
 Let me see what Spring is like on Jupiter and Mars,
 In other words,hold my hand...


 小さな声で歌いながら、わたしは駐車場に敷きつめられた砂利の上にしゃがんでみる。
 あの約束から二年後。
 二〇〇八年十月、空は青く晴れ渡り、乾いた風が長い髪を揺らす。二年間、ずっと切らずにいた髪は腰までの長さになった。

 あの日、彼から貰ったくまのオルゴールを、自分のしゃがんでいる場所の目の前に置く。
 駐車場になった土地の、わたしの座っている位置に、丸椅子。くまを置いた位置に、カウンター。
 その奥の、雑草の生い茂った場所には、カップのコレクションと珈琲豆の容器が入った棚、そして彼がいたはずだった。
 目を閉じれば、ありありと喫茶店の様子が浮かんでくる。色も、匂いも鮮やかなままで。
 目を開ければ、壊れたブロック塀に落書きの目立つ、空き缶の散乱した寂しい土地がわたしに現実を突き付けてくる。

 温泉へ行った次の日から、彼の店は閉まったままになった。
 彼の携帯電話に連絡しても繋がらないし、何が起こったのかさえわからない。わたしは正直どうしていいのかもわからなかった。
 そして、ちょうど三ヶ月後の夕暮れ、突然、彼が逝ってしまったという電話が彼の奥さんからあった。
 元はお店の従業員の方なので、一応ご一報をと…と乾いた声で淡々と話す彼女の声が歪んで聞こえた。
 彼は、白血病だったそうだ。わたしとの休日を過ごした直後に入院し、そのまま帰らぬ人となった。

 その報せを聞いてから半年間、わたしは部屋に引きこもった。
 彼のいない人生なんて考えもしなかったし、こんな事になるなんて夢にも思っていなかったからだ。
 わたしは精神を病んだ。食事が摂れなくなり、からだを傷つけた。そんな事をしても彼はもう戻ってこない。
 けれど、それさえ信じなかった。受け入れたくなかった。
 店はその後取り壊されて更地になり、今は駐車場に変わってしまった。

 わたしの様子を見かねた夫が、ある晩、話してくれた。
 彼がわたしを谷川岳に連れて行ってくれた前の日、彼から電話があったそうだ。
 「訊けば、余命一ヵ月だって云ってたからな。入院まで時間が無いとも云っていたし。俺はお前があいつの事をまだ好きで、あいつもお前を好きだって事を知っていたから、本当は行かせたくなかった。」
 その話を聞いて、わたしは泣き崩れた。

 あの日、あれだけわが身の心配をしていながら、わたしは彼の事をなにひとつきちんと見てはいなかった。
 彼の具合が悪い事にさえ、気づいてあげられなかった。
 こんなわたしを大切にしてくれる夫の存在さえ疎ましく感じた。
 夫がどんな気持ちでその日一日を過ごしていたかなんて、考えることすらしなかった。
 わたしはいつも自分本位で、人を思いやる事が出来ない。その事実だけ、冷たい氷の刃のようにわたしの心に突き刺さった。
 その刃は、今も溶けずにわたしの心に刺さったままだ。


 アキアカネがすっと目の前を横切って、すすきの穂に止まる。
 わたしは雲ひとつない、青くて高い空を見上げる。
 二年前はあんなに雲が低くて、白い靄につつまれていた空は、太陽を抱いて虹色の光を地上に落としていた。
 わたしはすっかり痩せてしまった腕を伸ばして、オルゴールのねじを巻き直す。
 Fly me the moonが流れ出す。
 ―――俺といる時に流れる、不思議な曲。
 彼がそう云って手渡してくれた音は、彼がいなくなった今もこうして響き続ける。
 ―――お前は、死なないよ。
 そう云ってくれた彼の、暖かくて大きな手や、細身のからだ、少しかさついたくちびるを思い出して、わたしは思わず自分の肩を抱いた。
 箸を持つだけで、彼の事を思い出す。そのせいで、今もきちんと食事が摂れないわたしの肩は骨が浮いていて、わたしはそれを自分でも醜いと思う。
 このまま、疲れ果てて死んでしまいたいな。
 この二年の間、幾度となくそう思った。
 二度とあの笑顔が見られない、二度とあの声は聞こえない。生きて別れるのなら、まだ希望と云う蜘蛛の糸を掴んでいる事が出来た。けれど、永遠にこの世から消えてしまったあなたとわたしを結ぶものは、もう何も無い。
 思い出にすがって、傷を自分で舐めながら、自分の存在意義を見失ったままで生きて行くという責め苦。

 「お前はあいつの分までしっかり生きろよ」
 夫はそう云って今も私を気遣ってくれる。けれど、お互いの間にはぎくしゃくとした空気が流れているのがわかる。
 彼の分まで生きるって、どういうことなのかわたしにはわからない。
 彼のようには生きられないし、今なんて半ば死人のようなものだ。

 自分がもうじき死ぬと知ったとき、彼はわたしに、何でも好きな事をしていいと云った。
 自分が好きなように過ごしたいとは、決して云わなかった。
 わたしの喜ぶ顔を見て、幸せそうに笑っていた。私の泣き顔を見て、困った顔をして慰めてくれた。
 大切にされるということや、愛されることを、わたしは彼から教えてもらった。

 オルゴールが止まり、わたしは腰を上げてジーンズについた砂を払う。
 今日、ここに来たのは、単なる自己の欲求を満たすためでしかない。
 二年前の約束など、もうわたししか知る者はいないのに、律儀に守った事で少しずつ彼の死を受け入れようとしている。
 わたしは少しずつ彼の死を受け入れて、彼を想いながら、長いか短いかもわからないこれからの人生を過ごしていくのだろう。
 空虚なままで終わるかもしれない。けれど、もしかしたら新しい喜びを見出す事もあるかもしれない。

 ―――とりあえず、生きるよ。
 呟いて、くまのオルゴールを拾い、かばんの中にそっとしまう。
 ―――もう失うものなんて何も残っていないから、だから仕方なく生きるよ。
 今度は自分に云い聞かせて、わたしは駐車場を後にする。
 そう、わたしがたとえ今ここで死んだとしても、大切な人は誰も喜ばないのだから。
 肉を切り裂かれるような激痛に耐えながらでも、病や汚れに冒され続けても、わたしは周りのために生きなければならない。
 わたしを愛してくれる人たちのために。未来が開けるという、かすかな希望に賭けて。 

 ―――愛しているよ、いまでもずっと。
 涙は枯れ果てて、もう泣くことすらできないわたしは、店のカウンターのあった場所に向かって微笑んでみた。
 空虚な心にさす、午後の日差しは、暖かかった。

 Fill my heart with song,and let me sing forevermore,
 You are all I long for all I worship and adore,
 In other word,please be true!
 In other word,I love you...


 (終)
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[2009/09/20 00:01] | *FLY ME TO THE MOON* | コメント(0) |
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*My Blue Heaven*


私の記憶の中から、思い出せる限りの事を『小説・文学』カテゴリに。   私の現在を、『ブログ』カテゴリに。

プロフィール

遊

Author:遊
Name:百瀬 遊(Yu Momose)
Birthday:01/28
Blood type: B
Sex:F

●がタイトルにつく場合ブログ、
*がタイトルにつく場合が小説です。

◆初期小説は、書き下ろしのノンフィクションを載せています。
※カテゴリ別に読んで頂ければ、多少なりわかりやすく表示されると思います。
※表記の多い、自傷、ドラッグ、売春はすでに卒業しています。
ドラッグと売春は犯罪ですので、(今更ですが)やっちゃダメな事です。
自傷は犯罪じゃないみたいですが、周りの人が痛いのであまりお勧めできません。
◆09年8月以降、フィクションを増やしていく予定です。
ノンフィクションの場合は題名に表記します。

※著作権・肖像権の侵害、あるいは転載などは禁止とさせていただきますので、よろしくお願いします。

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