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*FLY ME TO THE MOON 3*
※前篇は、画面右手のカテゴリ「*FLY ME TO THE MOON*」からご覧いただけます。
――――――――――――――――――――――――――――――

 鄙びた温泉郷を、浴衣姿で散歩する。
 これは、わたしが一度してみたかった事だ。
 彼は浴衣に袢纏、わたしは浴衣に袢纏に、その上に彼のコートを着て、湯けむりと霧で煙った足元の悪い小路をゆっくりと歩く。
 「寒い?」
 「足だけ冷たい。他はあったかいよ。」
 「どっかで足湯があったら浸かって行こう。」
 真鍮のかんざし一本でまとめた髪はもうすっかり乾いていたけれど、温泉宿のシャンプーの質が悪かったらしく、少しごわついている。

 冴えない土産物屋を冷やかし、通りすがりの食堂に入って饂飩と蕎麦を注文する。
 頭に白いタオルを載せた、愛想の悪い女性が一人で注文を受け、椀を運んでくる。
 味はそう悪くなかった。
 「ああいう働き方見てるとさ、俺も不機嫌な時ってああなのかな、って時々考える。」
 彼がわたしの耳元で可笑しそうに囁く。
 「…あそこまで酷くないよ。」
 耳から心臓に突き抜ける低くて甘い囁き声に、わたしの頭はくらくらした。

 今、はっきりわかる事。わたしは夫よりもこの人に惹かれている。
 今まで付き合ったどんな男よりも、この人に惚れている。
 そして、全てに於いて善くしてくれた夫とこの人と、どちらか選べと言われたなら、わたしはこの人を選んでしまうかもしれない。
 だけど夫にはそれなりの愛情もあるし、何より義理がある。
 どのみち長く生きられないのだとしたら、全部墓の中まで持って行くのが道理かもしれない。
 心の中では、すでに夫を裏切っている。表面上、裏切りとみなされる事をしていないだけ。
 それが、何の意味があると云うのだろう。心はすでに彼一色に染まってしまっているというのに。
 食事を終え、お互い煙草を二本ずつ吸い、食堂を出て、また足元の悪い道を行く。
 冷え切って皮膚の乾いた足指の間を、下駄の鼻緒が少しずつ削って行く。わたしの足は、少しずつ痛みを感じ始める。

 少し開けた場所に出たので、あたりを見渡すと、小さなオルゴール店が目に留まった。
 「入る?」
 彼がそう尋ねるので、わたしは頷いて、重たいドアを押した。カラカラとドアベルが鳴リ響いた店内は、ラベンダーの香りがした。
 店の中の棚には至る所にオルゴールが飾られていて、その中でも奥の棚に詰められた裸のオルゴールメカはどれがどれだかわからなくなるほど多かった。
 「クラシックもいいけどね、こういうのも好きだなぁ。トラディショナルっていうの?」
 わたしはひとつひとつを手にとっては、ねじを巻いて音を出す。何度もそれを繰り消しているうちに、小さな店の中は音の洪水で溢れそうになった。
 「お前、それじゃどれがどの曲だかわからないよ。」
 呆れて笑う彼につられて、わたしも笑う。
 「お客さん、何処から来たの?こんな季節で、おまけに平日って珍しいねえ。」
 奥から出てきた、人の良さそうな中年の女性がにこにこしながら尋ねる。
 「東京から。彼女が温泉に来たいと云いだしたもんで。」
 「ご夫婦?」
 「はい。」
 動揺するわたしを後目に、嘘の会話は続く。わたしは何となくいたたまれなくなって、色々なオルゴールの試聴を繰り返す。
 「…で、おーい。どれか、気に入ったのあったか?」
 彼が会話の途切れた所で声を掛けてきたので、わたしは振り向き、いろいろ聴いてたらわからなくなっちゃった、と答える。
 ―――ご夫婦?
 ―――はい。
 本当だったら、どんなに良かっただろう。わたしとあなたが出会った時に、あなたに家庭がなかったら、どんなに良かっただろう。
 そして、半ば妥協のように夫との結婚を承諾してしまった自分を呪う。夫は何も悪くない。
 …けれど、わたしはこんなにあなたの事が好きなのに。
 黙ってしまったわたしを見遣った彼が、棚のオルゴールメカを手に取り、女主人と何やら話している。
 その間もわたしは、平静を装いながらも震える指で、オルゴールのねじを回し続けていた。

 「ほら、これ。お前に今日の記念の土産。」
 不意に彼がわたしの肩を軽く引いて自分の方に向かせ、桃色の紙袋を振る。
 「イギリスから来たテディ・ベアにオルゴールを入れたんですよ。そのくまは一点物なの。だから大切にしてね。旦那さんと仲良くね。」
 女主人はそう云って笑った。とても優しい微笑みだった。
 わたしも笑顔を作って返し、礼を云って店を出た。
 外を吹き荒れる風は霧を巻きあげながら、だんだんと強くなっていく。空が、ごうごうと音を立てる。

 「…ねぇ、もしもわたしが死んだら、そのオルゴール、あなたがもらって…」
 「え?何?ちょっと風が強くて聞こえない。」
 「……そのオルゴールの曲は何?って訊いたの。」
 死んでいく者にモノなんていらないよ。そう思いながらも、気づけば必死で取り繕っている自分がいた。
 「ああ、これね。さっき車の中でかかってた曲。俺と会う時に鳴る不思議な曲なんだろ?」 
 彼はそう云って、紙袋を手渡した。わたしは、ありがとう、と云ってそれを受け取り、彼の後ろをついて歩く。
 足が痛んでなかなか前に進めないわたしに、彼は立ち止り、
 「やっぱ俺、歩くの早いか?」
 と、困ったように云う。
 「ううん、ただちょっと下駄が慣れなくて、足が痛い…かな…」
 そう云いながら自分の足元を見ると、肉刺が潰れ、鼻緒は血まみれになっていた。
 「…ばか、早く云えよ、こういう事は。」
 彼はわたしを喫煙所のベンチに腰かけさせてからすぐ脇の店に入り、消毒液とバンドエイドを持って出て来た。
 「本当に、どこもかしこも華奢にできてるなぁ…」
 わたしの足を消毒しながら、彼は呟く。出会った当初から彼はわたしの細さを少し心配していた。
 『お前には仕事なんて向いてないよ。病気もあるんだし、家でゆっくり暮らせる方法があるんなら、それを選んだほうがいい…』
 わたしが夫に結婚を申し込まれた時、彼はそう云ってわたしの背中を押した。

 こうなることの、予測もつかなかったの?
 わたしはせつなくなって、後は自分でやる、と云ってバンドエイドを受け取った。
 彼が借りて来た消毒液を返しに行っている間、わたしは化粧をしていないのをいい事に、少しだけ泣いた。

 「疲れた?」
 戻ってきた彼は、わたしの隣に腰かけて、優しく尋ねた。
 「疲れてない。大丈夫。…ただ…」
 「何?」
 「…うん。…こういうのって、ちょっと怖くて。」
 「何が?」
 「あなたがわたしにこうして色々してくれるのって、なんだか裏がありそうで怖い。いつもは憎まれ口ばかり叩かれてるから。」
 そう云って、無理に笑ってみせる。笑ったはずなのに、笑顔は儚く一瞬で崩れて、わたしの目からは勝手に涙が出てきてしまう。
 「……考えすぎだよ。云っただろ?気まぐれ、自己満足。今日は仕事をしたくなかったから、お前をだしに使っただけ。」
 ―――泣くなよ、な。彼はわたしの肩に手を添えて、頭を引き寄せる。わたしは反射的にその手を振り払う。
 「頭を撫でようとしただけだけど。」
 「…それは、駄目なの。しちゃいけない事なの。」
 「いやなの?」
 「……」

 わたしが一番して欲しい事。
 それは、この小さな頭を抱いて、撫でてもらうこと。
 だけどそれはしてはならないこと。わたしのような、出来そこないで、ばかで、意地汚い人間にそんな甘えは許されないよ。
 彼に抱きすくめられて頭を撫でてもらえたら、わたしはその瞬間に死んだっていい。
 そのくらい切に願っていた事が叶えられようとしているのに、わたしの細い腕は彼の手を振り払う事しかできなかった。

 ―――どうせ、もうすぐ死ぬかもしれないんだよ。
 ―――悔いのないように、思い切り彼に甘えればいいじゃないか。
 頭の中で誰かが囁く。
 ―――今日が最初で最後のチャンスかもしれないんだよ。
 ―――本当の父親に叩きのめされて育った自分が、やっと父性を感じられる最愛の人に抱きしめてもらえるかもしれないんだよ。
 ―――全て話してしまえばいいじゃない。ずるくなったっていいじゃない。そこまで高潔ぶる理由は何?
 ―――違う、高潔なんじゃない、わたしはただただ汚い、汚いから、彼に触れて欲しくないだけ。この期に及んでまで、同情なんて云う汚い手を使って、真っ黒に汚れて死んで行きたくないだけ。

 何も云えずにしゃくりあげるわたしを、彼は困ったように見つめてから、煙草に火を点けた。
 「ごめんな。」
 「…あなたが謝る事なんて何もない。」
 「とりあえず、宿に戻ろうか。一雨来そうだ。」
 
 彼は空いている左手で、わたしの右手をそっと掴んだ。
 わたしはそれを拒まなかった。足を痛めていたので、手を引いてくれるのはありがたかった。
 冷たくて、白くて、大きな手が、わたしの手を包み込む。
 「やっぱ、細いな。」
 彼は呟きながら、節くれだった指をわたしの指に絡めた。そして、煙草の吸殻を四角い缶灰皿に押し込んで、ベンチから腰を上げた。
 「細くて、柔らかくて、いかにも仕事してませんって感じの手だな。」
 そう云い放った彼の口調はまるでわたしをからかっているようだったけれど、わたしの指を摩るように撫でる彼の指は優しかった。
 こわれものを扱うように、そっとわたしの手を包んだ彼の手は、連日の水仕事で荒れてざらざらしていた。
 その指を、愛おしく思う。

 紙袋の中でオルゴール入りのテディ・ベアが倒れ、数フレーズを奏でて中途半端な所で止まった。
 灰色がだんだんに濃くなる空の下、わたしたちはそれぞれの罪悪感を胸に、宿へと向かっていた。

 (*FLY ME TO THE MOON 4*へ続く)
  
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[2009/09/13 00:00] | *FLY ME TO THE MOON* | コメント(0) |
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*My Blue Heaven*


私の記憶の中から、思い出せる限りの事を『小説・文学』カテゴリに。   私の現在を、『ブログ』カテゴリに。

プロフィール

遊

Author:遊
Name:百瀬 遊(Yu Momose)
Birthday:01/28
Blood type: B
Sex:F

●がタイトルにつく場合ブログ、
*がタイトルにつく場合が小説です。

◆初期小説は、書き下ろしのノンフィクションを載せています。
※カテゴリ別に読んで頂ければ、多少なりわかりやすく表示されると思います。
※表記の多い、自傷、ドラッグ、売春はすでに卒業しています。
ドラッグと売春は犯罪ですので、(今更ですが)やっちゃダメな事です。
自傷は犯罪じゃないみたいですが、周りの人が痛いのであまりお勧めできません。
◆09年8月以降、フィクションを増やしていく予定です。
ノンフィクションの場合は題名に表記します。

※著作権・肖像権の侵害、あるいは転載などは禁止とさせていただきますので、よろしくお願いします。

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